国破れて山河あり
人は度々、川に心やこの世の理を喩えたり投影する。
雨水が大地に注ぎ、やがて湧き水となり厳しい支流を流れる。
幾多の流れと合流して大河となった川は、やがて母なる大海へと戻って行く。
二元論では表しきれないことを感じ、自然の摂理に喩えたりメタファーにする。
これは人に備わった大事な能力だと思う。
そしてノーベル文学賞作家に限らず、数々の文豪を世に送り出した文学や思想にこそ、日本人らしさがあると感じている。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/日本人のノーベル賞受賞者
日本の精神科医療は世界と比較して、恥ずかしいくらい遅れていると思う。
https://news.yahoo.co.jp/byline/miwayoshiko/20170719-00073481/
この事件はご存知だろうか?
若いニュージーランド人の男性が精神科病棟での拘束期間中に亡くなった事件である。
その事はまたの機会に述べるとして…
あるがままを受け入れる考え方は禅の考え方に重なる部分もあり、西田幾多郎さんが欧米に紹介した事で広まった感がある。
この様に日本人が考案、あるいは着想を得て生まれたモデル、療法でありながら、外海外で評価されてから日本に来るものは多い。
そして作業療法(Occpational Theraphy)の分野では「川モデル」もその一つだと思う。
【報告】「共生のための障害の哲学」第13回研究会 マイケル・イワマ講演会―ディスアビリティの文化的構築と作業療法学 | Blog | University of Tokyo Center
障害受容も川に似ている。
むしろ障害と表現するのもどうなのだろうか?
人は生まれて死を迎えるまで、毎瞬課題と向き合いながら生きているとも言えるし、ただあるがまま時が流れ拍動が続いていることが生きている意味とも言える。
人間として地球という星に生を受け、現在を生きる事は、違う視点から今を捉えたら世界は違ったものに感じるのかもしれない。